2009年06月26日

ヨーロッパ史の中世における戦乱が

ヨーロッパ史の中世における戦乱が終息した理由の一つとして、民族国家の台頭があげられる。日本でもよく指摘される論であるが、文化や価値観を共有する共同体としての国家が成立することは、領内の安定に繫がるとされる。

例えば、アフリカ諸国の国境は、旧植民地宗主国の都合で設定された為、国と民族の統合性を欠き、これがアフリカ諸国の政情不安定の一因である事をよく指摘される。特に、近代に出現した民主主義は一面的には多数決制である為、国内において多数派を形成し得ない少数民族にとって不利な制度であり、これが少数民族の独立運動、ひいては内戦の原因となっている事も指摘される。

また、アフリカ人の奴隷を多量に輸入したアメリカや戦後に多くの移民を安価な労働者として受け入れたヨーロッパ諸国では、これらの少数民族の住居地区の多くがスラム化している。これらのスラムは、高い失業率と犯罪率による治安の悪化、インフラ維持による財政負担、また場合によっては大規模な暴動の発生源となる場合がある他、近年のコソヴォやグルジアのように、これらの少数民族が独立運動を起こすことによって国家主権が脅かされる事例も存在する。
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しかしながら、どの国においても少数民族や外国人がたとえ少数ながらも存在しており、国政に多数派の価値観や文化や利権が組み込まれると結果として少数派には不公平な状態、あるいは少数派民族の人権が著しく損なわれる事態が発生することが問題点として指摘されている。

その最も極端な例がドイツに出現したドイツ第三帝国で、ナチスが独断で決定したドイツ民族の定義に見合わないドイツのユダヤ人、ジプシー、同性愛者、障害者が多量に虐殺されただけでなく、東欧への侵攻の際に、膨大な数の東欧の住民が虐殺されている。またこれほど極端でなくとも、民族主義に基づき、少数民族の人権を軽視、あるいは弾圧する国家が存在する。

2009年06月10日

日章は旗の中心から旗竿側に横の長さの100分の1ずれた

1870年2月27日(明治3年1月27日)制定の商船規則(明治3年太政官布告第57号)に「御國旗」として規定され、日本船の目印として採用された。規格は現行とは若干異なり、縦横比は7対10、日章は旗の中心から旗竿側に横の長さの100分の1ずれた位置とされていた。この日を記念して国旗協会は国旗制定記念日を制定し、国旗掲揚の日としている。

以後、日章旗は国旗として扱われるようになったが、「国旗」としての法的な裏付けは太政官布告のままであり、法令として存在しなかった。1931年(昭和6年)2月、第59回帝国議会において全11条及び附則からなる「大日本帝国国旗法案」が衆議院議員石原善三郎により提案され、同年3月26日衆議院本会議において可決された。しかしながら貴族院送付後の3月28日、勅命による帝国議会閉会により審議未了廃案となり、続く第60回帝国議会に再提出されたものの衆議院解散により再度廃案となり、結局成立しなかった。

1945年、連合国軍総司令部(GHQ)の指令により日章旗の掲揚が原則禁止された。この間、商船旗としては国際信号旗のE旗に基づいた旗が代用された。祝日に限定した特例としての日章旗掲揚許可を経て、1949年より日章旗の自由掲揚が認められる。

第二次世界大戦後から国旗国歌法制定までのあいだ、反・日の丸を主張する勢力(日本教職員組合、日本共産党、朝日新聞が代表的な勢力)は日章旗の国旗としての法的正当性に疑義を唱えることがあった。これに対し日章旗を国旗と認める勢力(自民党など保守派)は日章旗が日本国旗であることは一種の慣習法と考えられることなどを主張、その根拠として前出の商船規則、大喪中ノ国旗掲揚方のほかにも複数の法令の条文中に「国旗」の文字が使用され「日本国旗が存在することが当然の前提とされている」ことを挙げていた。国旗国歌法制定前の法律で日本国旗を意味する「国旗」の文字を含んでいた事例は次のとおり(当該条文は後に部分的に文言が改正されたものもあるがここでは初制定時のものを掲載。国会の審議を経ない命令(政令以下)での使用例は省略。旧字体新字置換)。
テニス
セキュリティ
花火
仏教絵画
東北地方
壁画
日用品
セパタクロー
印刷
水球
アスペルガー症候群
学習塾
ベリーダンス
北陸地方
水彩画
恐竜
水墨画
両生類
ジオキャッシング
アニマルセラピー

船舶法(明治32年法律第46号)第2条「日本船舶ニ非サレハ日本ノ国旗ヲ掲クルコトヲ得ス」ほか複数条項に登場
海上保安庁法(昭和23年法律第28号)第4条第3項「海上保安庁の船舶は、番号及び他の船舶と明らかに識別し得るような標識を附し、国旗及び海上保安庁の旗を掲げなければならない。」
保安庁法(昭和27年法律第265号)第83条第1項「保安庁の使用する船舶は、番号及び他の船舶と明らかに識別し得るような標識を付し、国旗及び長官の定める旗を掲げなければならない。」
自衛隊法(昭和29年法律第165号)第102条第1項「自衛艦その他の自衛隊の使用する船舶は、長官の定めるところにより、国旗及び第四条第一項の規定により交付された自衛艦旗その他の旗を掲げなければならない。」
商標法(昭和34年法律第127号)第4条第1項第1号「国旗、菊花紋章、勲章、褒章又は外国の国旗と同一又は類似の商標」

1990年代末から学校の式典等における日章旗掲揚に係わる問題が頻発、掲揚に反発する教職員(日教組)とのトラブルから高校校長に自殺者が出るに至った。背景には教育現場における日の丸掲揚と君が代斉唱に対する反対運動があった[11]。このことに対処するため、1999年(平成11年)には国旗国歌法が公布され、正式に国旗として定められた。

2009年06月06日

安宅船(あたけぶね)は、室町時代の後期

安宅船(あたけぶね)は、室町時代の後期から江戸時代初期にかけて日本で広く用いられた軍船の種別である。

巨体で重厚な武装を施しているため速度は出ないが、戦闘時には数十人の漕ぎ手によって推進されることから小回りがきき、またその巨体には数十人から百数十人の戦闘員が乗り組むことができた。当時の日本の水軍の艦船には安宅船のほか、小型で快速の関船と関船をさらに軽快にした小早があったが、艦隊は安宅船を中心に関船と小早を配して編成され、安宅船が戦艦の機能を果たした。

安宅船は安宅、阿武とも書き、中近世の日本の軍船のうち大型のものを指した。大きいものでは長さ50m以上、幅10m以上の巨体を誇り、大安宅(おおあたけ)と呼ばれる。

史料上に安宅船の名が現われるのは16世紀中葉の天文年間頃の河野氏配下の伊予、すなわち当時の水軍先進地域である瀬戸内海西部においてである。

「安宅船」と呼ばれるようになった由来は定かではないが、巨大で多くの人の乗り組める船であったから「安宅」となったという説、「暴れる」という意味があった「あたける」という動詞から来ているという説、北陸道の地名である安宅(あたか、現石川県小松市)と関係あるという説、陸奥の阿武隈川流域を指した古地名の阿武と関係があるという説などがある。名称に関する決定的な説はないが、日本の船の種別名では肥前松浦の松浦船、熊野灘の真熊野船の様にその船が建造され、使われていたりした地名を冠すると考えられるものが多い。

安宅船は、遣明船でも使われた二形船(ふたなりぶね)や伊勢船(いせぶね)などの大型和船を軍用に艤装したもので、小さいものでは500石積から大きいもので1000石積以上の規模を誇った。

当時の和船に共通する構造上の特徴として、大型船ではあるが安宅船もまた板材を縫い釘とかすがいによって繋いで建造されており、西洋や中国の船のように骨格としての竜骨はない。 これは、外板で応力を受け持つモノコック構造だったからである。そのため、軽量で頑丈、構造船を建造することができた。しかしながら、同構造の諸船種と同様に水密が弱いため衝突や座礁等による漏水には弱かった。これは軍用船としては、体当たり攻撃が不可能である事を意味し、大きな欠点となった。また西洋の船と違い、外洋に出る能力は限定的だった。
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船体の特徴は、船首が水を切って進むための下部が鋭角的な水押(みよし)造となっていて、上部が方形の箱造りの乗った形状をしている点である。この形状によって確保した広い艦上に楯板を舷側と艦首・艦尾に前後左右の方形に張って矢玉から乗員を保護した。もともと速度の出ない大型船であるため船速は犠牲にされ、楯板は厚く張られて重厚な防備とした。楯板には狭間(はざま)と呼ばれる銃眼が設けられ、隙間から弓や鉄砲によって敵船を攻撃した。接舷時には敵船に斬り込むために楯板が外れて前に倒れ、橋渡しとできるようになっていた。楯板で組まれた総矢倉のさらに上部には矢倉が乗り、外見の上でも城郭施設に似ている。特に大きな安宅船には二層から四層の楼閣があげられていた。その構造と重厚さから、安宅船はしばしば海上の城にたとえられる。

後期に入ると大型化と重武装化が進み、特に火器を使った戦闘に対応して楯板に薄い鉄板が張られることもあったとされる。武装も陸上の持ち運びに適さない大鉄砲や大砲が配備され、強力な火力で他艦を圧倒した。

推進には帆も用いたが、艪が少ないもので50挺ほどから多いもので150挺以上に及び、50人から200人くらいの漕ぎ手が乗った。大安宅では2人漕ぎの大艪を用いる場合もあった。戦闘員は漕ぎ手と別に乗り組み、やはり数十人から数百人にのぼる。

2009年04月23日

シャルル2世 (西フランク王)

シャルル2世(フランス語:Charles II le Chauve, 823年6月13日 - 877年10月6日)は、西フランク王国(カロリング朝)の初代国王(在位:843年 - 877年)、および「西ローマ皇帝」(カール2世(ドイツ語:Karl II der Kahle), 在位:875年 - 877年)。ルートヴィヒ1世(フランス語ではルイ1世、敬虔王)の子で、ロタール1世とルートヴィヒ2世の弟。「禿頭王(禿頭帝)」と呼ばれる。

823年6月13日、フランクフルト・アム・マインに生まれた。840年にルートヴィヒ1世が歿すると、フランク王国ではロタール1世、ルートヴィヒ2世、そしてシャルル2世の三兄弟による領土をめぐっての争いが起こった。このため、843年に三兄弟は王国の領土をそれぞれ分割することで統治することとなった。ロタール1世はフランク王国中部と西ローマ皇位、ルートヴィヒ2世は東フランク王国、そしてシャルル2世は西フランク王国という具合である。これが、ヴェルダン条約である。しかし、国内の貴族勢力の統制に苦しみ、さらにノルマン人やヴァイキングの侵攻に苦しめられて、その治世は多難を極めた。

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そして869年、兄のロタール1世(ロタール1世は855年に死去)の子・ロタール2世が死去すると、シャルル2世は東フランク王ルートヴィヒ2世と再び領土交渉を行ない、870年にロレーヌ地方を中心とした兄の遺領を分割したのである。兄の遺児でロタール2世の後を継いだルートヴィヒ2世(ルイ2世)には、イタリアの領有と西ローマ皇位のみを認めている。これを、メルセン条約という。こうしてここに、現在のフランス、イタリア、ドイツのもとが作られたのである。そして875年、西ローマ皇帝ルートヴィヒ2世が死ぬとすかさずイタリアに侵攻して同地を併合し、カール2世として西ローマ皇帝に即位した。

877年10月6日死去。54歳没。後を子のルイ2世(吃音王)が継いだ。

2009年04月22日

道徳論的証明

カントは理論理性によっては神の存在を証明することはいかなる方法でもできないと考えた。しかし道徳的実践においては、実践理性の必然的な対象である最高善の実現のために神の実在と魂の不死とが要請されるとした。

カントは道徳法則に従うことを善としている。道徳法則に従った行為をなしうる有徳な人間は最上の善をもつ。しかし、有徳であるだけでは善は完全でなく、善がより完全であるには有徳さに比例して幸福が配分されねばならない。徳とそれに伴う幸福との両立が完全な善としての最高善である。まずもって不完全である人間が最も有徳であるためには無限な時間が必要である。そこで永遠に道徳性を開発せねばならず魂の不死が要請される。また、この徳と幸福の比例関係の保証は神によってなされるしかありえない。そのため、神の存在が道徳的実践的見地から必要とされるのである。

様々な存在証明の試み
四種類の存在証明は、基本的なパターン分類であり、一人の思想家・哲学者の神の存在論証において、これらのパターンの一部が使用されたり、また複合形で論証が行われたりする例もある。

近世以降にも神の存在論証はあるが、それぞれの思想家で、何を強調するかのバリエーションであるとも言える。「神の不在証明」の問題と共に、人間の思想の歴史を通じて、世界の根源、存在の根拠、人間の存在意味などを問いかけるとき、神の存在と不在の議論がそこには恒に伏在しているとも言える。

例えば、スピノザは神とは「自然」であるとしたが、自然の存在は自明であり、そうとすれば神の存在も自明となる。しかし、このような形の議論は存在証明というより、存在の独断であるとも言える。対し、精神(思惟実体)と物質(延長実体)の二実体論を提示したデカルトの思想では、精神と物体が調和している根拠が不明であり、しかし、にも関わらず、現に精神と物体の調和性が存在することは、両者の仲介者としての「神の存在」が、ここから導かれるとも言える。

あるいはスピノザの場合でも、彼の語る自然は、必然法則を備え、更にその法則は倫理的法則でもあって、物体世界と精神世界が一元論的に統合され、かつ、このような一元実体が倫理的な必然法則を備えるとというのであるから、このような意味では、スピノザの思想そのものが、神の存在証明になっているとも言える。

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ニュートンによる神の存在論証
以下の逸話で語られているニュートンの神の存在論証も、ニュートン力学の構成によって彼が辿り着いた、「神の目的論的証明」のバリエーションだとも言える。宇宙の物体の運動に、想像を絶して精緻な数学的秩序を見出したニュートンが、このような法則構造は、人間の能力を超えた「超越者」の「設計」によると考えるのは、現代の数学者が、抽象数学の定理に、永遠的な美や形而上学的意味を感得するのと似た事態である。

ニュートンの逸話
ニュートンは太陽系の模型を上手な機械工に作らせた。その太陽系模型は、惑星を表わす球体が実物そっくりに連動しながら軌道上を回るように作られていた。
ある日、一人の無神論者の友人がニュートンを訪ねた。友人は模型を見るとすぐにそれを操作し,その動きの見事さに感嘆の声を上げた、「だれが作ったのかね?」。
ニュートンは答えた。「だれが作ったのでもないさ!」
無神論者は言い返した。「君はきっと、わたしのことを愚か者だと考えているのだろう。勿論、だれかが作ったのに違いないが、その人は天才だな。」
ニュートンはその友人に言った。「これは、君もその法則を知っている、はるかに壮大な体系のごく単純な模型に過ぎないものだ。わたしはこの単なる玩具が設計者や製作者なしに存在することを君に納得させることができない。それなのに、君は、この模型の原型である偉大な体系が設計者も製作者もなしに存在するようになったと信じている、と言うのだ!」
その友人は神の存在を認めるようになった。

オイラーによる神の存在証明
18世紀の数学者レオンハルト・オイラーは、ロシアに滞在していた時、エカチェリーナ2世から「ディドロが無神論を吹聴しているので何とかしてほしい」という依頼をうけた。オイラーはディドロと対決し、

と問いかけたところ、数学の素養のないディドロは尻尾をまいて逃げた、というエピソードが語られている。無論、この数式は何の意味もないまったくのデタラメである。 しかし実際のところ、ディドロは数学の教養が十分にあったことから、この逸話は単に見かけ倒しの学識でいかに相手を困惑させられるかという発想に当てられただけの可能性が高い。

アシモフへの反論による神の存在証明
生化学者・SF作家であるアイザック・アシモフは神秘主義を否定し、神の創造がなくても生命は発生できるというエッセイを発表したが、読者から次のような反論が届いた。

「複雑な化合物が満ち溢れた原始海洋で数十億年の年月をかけてさえも、DNAと認識される分子が偶然に構成されるということは確率的にありえない。DNA分子が64種類のトリヌクレオチドが400個集まってできたものだと考えると、その構成パターンは3×10724である。この宇宙に存在する生命のDNAの種類は多く見積もっても2.5×1063なので[2] 、3×10724と比べればゼロに等しい」(故に、生命は何者かに創造したとしか考えられず、神は存在する)

これは目的論的証明の一種である。アシモフはこれに対して「現在までに存在したDNA分子のパターンだけで、有用な組み合わせすべてを使い尽くしたわけではない。この宇宙に存在しない別の組み合わせであっても、別の生命に至るのではないか」と反論している。

現代における存在証明
20世紀のカトリック思想家で、考古学者であったテイヤール・ド・シャルダンの人間精神の進化思想と、その究極目標としての「オメガ点」の措定は、生物進化の多様さと精緻さ、その「目的性」という観点からは、「目的論的証明」の一種であるとも言える。またオメガが、人間の倫理性から進化するとの考えからは、「道徳論的証明」の一種とも考えられる。

また、20世紀後半以降、「人間原理」の概念が提唱されている。これには「弱い人間原理」と「強い人間原理」があるが、とりわけ強い人間原理の思想的背景は、人間の現象の意味の根拠として、「神の存在」を論証していると解釈することも可能である。

2009年04月05日

平安将棋

平安将棋(へいあんしょうぎ)は、将棋の一種であり、二人で行なうボードゲーム(盤上遊戯)の一種である。

1120年頃の書とされる習俗辞典二中歴に平安大将棋とともに掲載されている将棋である。この中では単なる「将棋」という名前であるが、後の小将棋や現代の本将棋と区別してこう呼ばれる。

二中歴の記述 [編集]
『二中歴』の「第十三 博棊歴」には、以下のような将棋の記述がある。

将棊 棊一作騎
玉将八方得自在 金将不行下二目 銀将不行左右下
桂馬前角超一目 香車先方任意行 歩兵一方不他行
入敵三目皆成金 敵玉一将則為勝
(二中歴3 第十一?第十三(尊経閣善本影印集成)ISBN 4-8406-2316-3 P.118 より引用)

ルール [編集]
※文献にしか載っていないものであるため、当時の正確なルールであるとは限らないことをご了承願います。

基本ルール [編集]
将棋盤の上で行う。将棋盤の大きさは縦横8マスずつ、縦8マス・横9マス、縦横9マスずつの諸説があるが正確なことはわかっていない。
駒は、玉将(玉)・金将(金)・銀将(銀)・桂馬(桂)・香車(香)・歩兵(歩)の6種類あり、それぞれ動きが決まっている。
敵陣に関する記述はないが、おそらく相手から見て3段目までに入れば玉将と金将以外のどの駒も金将に成れる。
本将棋とは違い、捕獲した駒を自らの持ち駒にはできないと考えられている。持ち駒が使用できるルールも存在したとする説もある。
敵を玉将だけにしても勝ちである。

初期配置図 [編集]
以下のいずれかであったか、時代が下るとともに盤の大きさも変化していったと考えられる。

チング ハムナ タッセル オセア おおやまと クーポ シカゴ バリケード フィロ スプリン スモーカー プロバ サーチドア シュメール スティバル あっぱれ シャコ マリッジ 回転計 モノレール トップア ラテン ブレキ ティブ ピナフ システ そうよう モビール ラテアー チャレン センター フライド ビアフラ フットウ ガニメデ ブルー 大根ダイ トフロント びえい ネック ひみつの扉 ジーパン ジェリ ゼソウ コスモス しだれ梅 ひのみ レッジ スリラ トラウ

2009年03月21日

はやぶさ (列車)

はやぶさとは九州旅客鉄道(JR九州)が、東京駅 - 熊本駅間を東海道本線・山陽本線・鹿児島本線経由で運行していた寝台特急列車(ブルートレイン)であった。2009年3月14日のダイヤ改正で併結する「富士」と共に廃止された
ナイフ ダイア レフト レター ブライ マル ドポト フットランプ テグス パーツ なんがい トーム かにた ナツメ スモン ピンクソーダ シソーラス ジッポ リキュール ジープニー インター レコー ブート スパン コマツナギ トップバ ジーンチ 炎神 オピエー かさだか うばゆり キャンセル モスキ メトロ フォーゼ クラウト キール ばんかん アンダ シンパ せいこ 鶏頭人気 スコッ パレード オーメン トイ人 テゴル ティコア コムタン ヤハウェ

JR運行の定期列車としてはかつての併合相手「さくら」が2005年2月28日に廃止されたため、日本一の長距離旅客列車であった。

ただし、臨時列車を含めると「さくら」廃止以前から大阪 - 札幌間を運行する「トワイライトエクスプレス」が日本一の長距離旅客列車であった。

京都と九州方面を結ぶ「なは」・「あかつき」が2008年3月14日発(始発駅基準)の運行をもって廃止されたため、翌日の3月15日以降では併結する「富士」と合わせて関東・東海・関西から九州へ直通する唯一の夜行列車にもなっていた。

なお、本項の沿革では同じ区間で運行された寝台特急列車「みずほ」など主に東京圏より鹿児島本線に直通した優等列車についても記す。

東京対鹿児島本線優等列車沿革 [編集]
(東海道本線優等列車沿革・山陽本線優等列車沿革の項目も参照)


戦前・関門トンネル開業による運行開始 [編集]
1942年(昭和17年)11月15日 - 関門トンネル開業に際し、急行列車7・8列車の運行区間を東京駅 - 鹿児島駅間に変更する。
この列車は、それ以前は列車番号上は3・4列車、特別急行列車「櫻」(さくら)を称したが、この関門トンネル開業に際し運行区間を延長したものである。しかし特別急行列車ではなく、急行列車となったのは当時の輸送状況として不要不急の旅行を避けるべきとされた時代でかつ長崎港駅まで乗り入れた1・2列車「富士」との差違を設けるためともされている。ただし特別急行列車・急行列車を第一種・第二種と等級制に再編した際には第一種列車に指定されるなど、特急列車に準じた扱いをしたとされる。
1945年(昭和20年)1月25日 - 運行区間を下関駅まで短縮。その後3月20日に運行が中止。

戦後・運行復活からの展開 [編集]
1950年(昭和25年)11月2日 - 東京駅 - 鹿児島駅間を東海道本線・山陽本線・鹿児島本線経由で運行する急行列車「きりしま」運行開始。また、姉妹列車として「筑紫」(つくし)が運行される。
「きりしま」は山陽本線に夜行運転となるが「筑紫」は東海道本線と鹿児島本線とで夜行運転をしたため、1列車が2回夜行列車として運行。
1956年(昭和31年)11月9日 - 「きりしま」、漢字名称の「霧島」に改称。また、「筑紫」の列車名を「さつま」に変更。なお、「筑紫」は新設された東京駅 - 博多駅間の夜行急行列車の名称に用いられる。

第3の九州特急「はやぶさ」の登場以降 [編集]
1958年(昭和33年)10月1日 - 「はやぶさ」東京駅 - 鹿児島駅間で現行の運転経路で運行開始。
従前、同区間を運行していた夜行急行列車「さつま」を格上げする形で運行開始。これにより、「はやぶさ」は鳥栖駅以南の鹿児島本線を運行する初めての特別急行列車となった。
ただし、車両は(「さちかぜ」→)「平和」と同編成で組成された一般形車両を使用した。
1960年(昭和35年)7月20日 - 「はやぶさ」に20系客車を投入。同時に運転区間が東京駅 - 西鹿児島駅間(現・鹿児島中央駅)に変更。
1960年12月24日 - 1961年(昭和36年)1月14日 - 東京駅 - 熊本駅間に臨時特急「臨時あさかぜ」を他の列車の混雑緩和のため運転。この列車が「みずほ」の前身となる。
1961年(昭和36年)10月1日 - 東京駅 - 熊本駅間を不定期列車として「みずほ」運転開始。「不定期列車」と名乗るが、実際には毎日の運転とした。
1962年(昭和37年)10月1日 -「みずほ」が定期列車に昇格する。
1963年(昭和38年)6月1日 -「みずほ」の使用車両をそれまでの一般客車から20系客車に変更。これと同時に編成の一部を大分駅発着とする。
1964年(昭和39年)10月1日 - 「みずほ」の大分駅発着編成を「富士」として分離独立させ、「みずほ」は東京駅 - 熊本駅間単独の運行となる。但し、「みずほ」の大分駅発着編成はそのまま博多駅にて増解結とした。
1967年(昭和42年)10月1日 - 「霧島」運行区間を東京駅 - 西鹿児島駅間に短縮。
1968年(昭和43年)10月1日 - このときのダイヤ改正により、以下のように変更。
「はやぶさ」 - 博多駅にて増解結を行っていた編成を長崎駅まで延長。西鹿児島駅発着編成とは鳥栖駅で分割併合を行う。また、長崎駅発着編成は「あかつき」と共用する。
「みずほ」 - 全区間東京駅 - 熊本駅間運転とする。
「霧島」 - 東京駅 - 門司駅間を「高千穂」と併結運転とする。
1970年(昭和45年)10月1日 - 京都駅 - 西鹿児島駅間運行の寝台特急列車としてひらがな書きの「きりしま」を運行開始。これに伴い、東京駅 - 西鹿児島駅間急行列車の名称を「霧島」から「桜島」(さくらじま)に変更。
1972年(昭和47年) 3月15日 - このときのダイヤ改正により、以下のように変更。
「みずほ」の使用車両を「さくら」・「あさかぜ」(博多駅発着の1往復)とともに14系客車に変更。「みずほ」の当時の編成はこちらを参照。
これにより「さくら」より浮いた1人用個室付きA寝台車「ナロネ22形」を「はやぶさ」西鹿児島駅編成に連結。
また、「はやぶさ」は新大阪駅 - 西鹿児島・長崎駅間を運行する「あかつき(下り)1号・(上り)3号」と共用化する。
1972年7月20日 - 品川客車区での20系客車運用を変更に伴い、「はやぶさ」・「あかつき(下り)1号・(上り)3号」連結の1人用個室付きA寝台車「ナロネ22形」を開放式A寝台のみの「ナロネ21形」に変更。

2009年03月06日

共和党は1856年の大統領選挙

共和党は1856年の大統領選挙で大きな敗退を味わったが、その指導者達は、北部の有権者のみにアピールしたとしても、1860年の大統領選挙で勝利するためにはペンシルバニア州とイリノイ州のような2つの州での勝利を増やせばいいだけだと認識していた。

民主党は自分達の問題に関わっていたので、共和党の指導者達は選出された党員に西部での奴隷制問題に集中させておけば、民衆の支持をかり集めさせることができた。チェイスはサムナーに宛てて、もし保守派が成功すれば、自由土地党を立ち上げる必要があるかもしれないと書き送った。チェイスは多くの共和党員が政治的及び経済的な議論の場で奴隷制に対する道徳面での攻撃を控えている傾向があることで特に邪魔されてもいた。
こかぶ オスト ギュラー バスドラ ツルム 愛秋豊柿 ダービー ニバル ブラジ カシューナ パトロン ミステ シール ロング サーチツナ サイトフエ ステイヤ トップギア オーベ ランチャ ガイア ダンベル プロボ ソフォク パンプス アパッチ フェリ 吉兆 チャーハン ナイトメアー ジンゼナ テーププ うるあわ サロペ タンゴ 風の神 ファレノ イメージ ポンポン キャタピ パッション シスアド チャイム アビレ スキトル チェンバ マントラ ターゲティ 銀色の舟 月のウサギ

西部での奴隷制に関する論争はまだ奴隷制問題の落ち付け所を見付けられないでいた。党派間の緊張関係にあった古い制約は北部の大衆政治と大衆民主主義の急速な拡大によって弱くなっていたが、西部における奴隷制問題に掛かる論争の長期化はまだ、南部の革新的民主党と北部の革新的共和党の努力を必要としていた。彼らは党派間抗争が政治的議論の中心に残っていることを確認する必要があった。

ウィリアム・スワードは、民主党が議会の多数派であり、議会、大統領および多くの国の政庁を支配していた1840年代にこの可能性を予測していた。国の行政組織と政党制は、奴隷所有者が国の新領土に拡がることを許し、国の政策に強い影響を与えることを許していた。多くの民主党指導者が奴隷制に反対する立場をとることで民衆の不満は拡大し、党が南部寄りの姿勢を強めていると自覚すると、スワードはホイッグ党にとって、民主主義と平等という美辞麗句で民主党が強力に独占している状態を打ち破る唯一の方法は、党の綱領として反奴隷制を受け入れることだと確信するようになった。北部の人口が増えていることに対し、南部の労働システムはアメリカ的民主主義の理想の対極にあるもののように見えてきた。

共和党員は「奴隷勢力による陰謀」の存在を信じていた。それは連邦政府を掌握し、憲法を自分達の目的に合わせて悪用しようとしていた。「奴隷勢力」という概念は、スワードのような男達が長い間政治的に親しもうと願ってきた反官僚政治という訴えを共和党員に与えた。古い反奴隷制議論に奴隷制は北部の自由労働と民主主義の価値観に脅威をあたるという考えを結びつけることにより、共和党が北部社会の中心にあった平等主義者の見解に踏み込むことを可能にした。

この意味で1860年の大統領選挙の時、共和党の演説者はこれら原則を体現する者として「正直なエイブ」とすら呼び、繰り返しリンカーンのことを「労働者の子」や「辺境の息子」と表現して、いかに北部で「正直な産業と労働」が報われるかを証明した。リンカーンは元ホイッグ党であったが、「広い覚醒」(共和党クラブの一員)が切り取ってきた線路の模型を使ってリンカーンの卑しい生まれを有権者に覚え込ませるようにした。

ほとんど全ての北部州において、組織者達は1854年の投票で共和党あるいは反ネブラスカ勢力に融合を起こさせるように運動した。急進的共和党員が新しい組織を支配している地域では、包括的革新計画が党の政策になった。彼らが1854年の夏に共和党を結党させたまさにそのように、急進派は1856年の党の全国的組織化にも重要な役割を果たした。ニューヨーク州、マサチューセッツ州およびイリノイ州での共和党会議は急進的綱領を採択した。ウィスコンシン州、ミシガン州、メイン州およびバーモント州におけるこれら急進的綱領は通常政府と奴隷制の分離、逃亡奴隷法の撤廃、およびこれ以上奴隷州を増やさないことを要求した。急進派の影響が強いときのペンシルバニア州、ミネソタ州およびマサチューセッツ州でも綱領になった。

1860年、シカゴでの共和党大統領候補指名会議で、保守派は以前から急進派との評判があったウィリアム・スワード(ただし、1860年までにホレース・グリーリーに中道に過ぎると批判されていた)の指名を妨げることができた。他の候補者は早くから党員になるかホイッグ党に対抗する党を作ったことがあり、それ故に多くの代議員を敵に回していた。リンカーンが3回目の投票で選ばれた。しかし、保守派は「ホイッグ色」を復活させることまではできなかった。奴隷制に関する会議での決議はほぼ1856年のものと同じであったが、言葉の使い方が急進的ではなくなった。次の数ヶ月間、トマス・ユーイングやエドワード・ベイカーのような保守派共和党員ですら、「新領土の通常状態は自由である」という綱領の文句を受け入れた。全般的に見て、組織者達は共和党の公式政策を形作る効果的な仕事をしたと言えた。

南部の奴隷所有者の興味は、共和党の大統領という見込に直面し、また党派間の力関係を変えることになる新しい自由州の加盟であった。多くの南部人にとって、レコンプトン憲法問題での敗北は多くの自由州が合衆国に加盟してくることを予感させるものであった。ミズーリ妥協の時点に戻って南部地域は上院で競い合えるように奴隷州と自由州のバランスを維持することを求めた。1845年に最後の奴隷州が認められて以降、自由州は5州が加盟していた。北部と南部のバランスを保つという慣習は自由土地州を多く加えることですでに廃れていた。

2009年02月14日

Nursery Rhyme -ナーサリィ☆ライム

念願かなって私立の名門・将星学園の入試に合格した少年・支倉静真。しかしその直後、父親の3年間の海外赴任が決まってしまう。せっかく決まった合格を辞退する気にもなれなかった彼は、母の知人の家に下宿する事になる。そこには静真が幼い頃出会った双子の姉妹・真紀奈と有希奈がいた。さらに隣の家の気の強いお嬢様のティータ、同じく下宿人のクルルや凛など静真はいきなり多くの女性達に囲まれて暮らす事になる。今まで異性と関わったことのない彼は環境の変化に戸惑いつつも学園での新たな生活を始めることとなった。やがて、静真はその中の女性の一人と愛し合う様になり、隣人達との絆に助けられながら、共に葛藤を乗り越えて成長していくのであった。
タンカー ドル箱 フィクサー チョンチ 微熱 フッター バーム トレー オペラ ロジス トーナメ ヤーコン ファーマ ジェノサ オフコン プロパ ビジタ お祭り ゴング ギタリスト ゲスト ハンド 北風のキ ピラニア リボン パイル ハイブリ チュウ ハット ワイツ ムラサ 雨のタン ストーン スターチ テーブ シンシア セピア バーナー しもにた イソウ サーチスギ パラメ シルフィ リッツ そうま タイム オスロニク キーポイ シャイニ ばるべーら

作品の舞台となるのは現代の日本に程近い世界であるが、現実とは異なりややファンタジー風の世界観で構成されており、「魔法」が科学技術と同様に社会から認知されており学術研究の対象ともなっている。作品の主人公・支倉静真が通うことになる「将星学園」は普通科・体育科・魔法科の三学科から成る私立学園である。

作品の製作スタッフたちは、プレイヤーがストーリーに共感できる様にとの配慮から、こうしたファンタジー風の世界観を前面に出さない方針である。この為、こうした世界観は、ストーリーの展開に応じて主人公のモノローグや登場人物のセリフの中でさり気なく語られている。

また、魔法が存在する世界観を持ちながらも、「本当の魔法」を愛情や誠実さといった人間の精神性に求めるストーリーテーリングは、本作品の大きな特徴の一つである。

魔法のエネルギーが現実世界における電力の様な位置づけであり、広くエネルギー源として応用されている。化石燃料や核エネルギーが使われる事が無い為、現実世界よりも自然環境が良い。また、エネルギーとしての魔力の伝達方法は語られていないが、現実世界の送電線にあたるものが存在しないので、画面には全く電柱や送電線が描かれていない。

なお、ソフィロスというスポーツに用いられる「魔法球」や、露天風呂でプライバシーを守る為などに使われている「魔法壁」など、直接的に魔法を応用した製品も数多くある。ただし、「魔法を応用した製品」の中には、現実世界で言う処の「疑似科学」に基づいたインチキな商品もあり、悪徳商法である事を暗示する様な、怪しげな通信販売で流通している物もある。

この様に、作品世界における「魔法」には学術的な方法論による安定した応用技術が存在する。しかし、その一方で魔法を騙ったインチキ商売が成立してしまうくらいに、「魔法」とは未解明で神秘的なものだと考えられているのである。(魔法をこの様に描く事は、亜人が存在したり、ぬいぐるみが喋ったりする事に説得力を持たせて、作品世界のキャラクター表現を豊かにすると同時に、この作品のファンタジー色を薄め、プレイヤーから見て身近な世界観を提供する為の工夫である。)

テレビや雑誌といったマスメディアや電話などの通信装置については、現実世界と同様であるが、劇中には一度も携帯電話やインターネットの存在が描かれていない。学園で使われる書類についての記述から見て、パソコンやワープロは存在する様である。

作中の日本での通貨単位は円であり、物価は現実世界での21世紀初頭の日本と同じくらいである。

文化と歴史
作中の日本文化は、現実世界の日本文化と殆ど同じである。少なくとも作中の時代においては、魔法という概念の存在で、宗教や文化に現実世界との大きな違いが生じたりはしていない様である。例えば、庶民は夏祭りには浴衣を着て出かけるし、キリスト教会で結婚式を挙げたりしている。占いやジンクスも通俗的なものであり、特に宗教や魔法学を根拠にしてはいない様である。

服飾や食文化についても、特に現実世界と異なるところはない。 (作品の舞台は、キャラクタが全員標準語を使用しており、かつ京都や東海地方への国内旅行についての話題が出てくることから、関東圏である様だが定かではない。)

アズラエルのセリフから見ても、日本史は現実世界と似通っている様である。(「十六代将軍」という、現実世界の日本史では就任した人物が存在しない役職が出てくるセリフもあるが、アズラエルの冗談なのか、作品世界の史実なのかは定かでない)ただし、将星学園の「魔法史」の授業内容から察するに、魔法の存在によって、世界史は異なったものになっている様だ。

魔法士
魔法が人間の持つ才能の一つとして認識されている為、特に魔力の持ち主が差別や迫害を受ける事はないが、強い魔力の持ち主の場合、魔力の暴走を喰い止める為に、「制御リング」というものを身体に取り付ける事が義務付けられており、この事は身分証明書の記載事項の一つにもなっている。ただし、「制御リング」それ自体は、魔法能力者への烙印の様な描かれ方はされておらず、極力目立たないデザインになっているという設定である。この為、魔法能力者であるクルルの姿には、それらしき物は描かれていない。

魔法を使ってギャンブルなどに勝つ事は、魔法能力者のモラルに反する事とされている。さらに、人命救助などの緊急時を除き、魔法で他人に影響を与える行為は重罪とされている。また、魔法を職業とするものは「魔法士」と呼ばれ、正規の魔法士は「制御リング」を解除する権限を持ち、国家公務員としての待遇と国家による監視を受ける。将星学園の魔法科は、魔力を持った学生が魔法士の資格を取る為のコースであるが、魔法科の学生達には変わり者が多い様である。

魔法士の中には「魔法療法士」と呼ばれる医療従事者がいて、医学と併用する事で患者の回復を早める事ができる。

主人公も一応魔力は持ってるが封印されているため制御リングは必要無いようだ。(一部のルートでは封印が解けて魔力が復活したため制御リングを付けるが本人や周りの友人はアクセサリ程度にしか思っていないようだ)

スポーツ
現実世界と同様に、球技では野球やサッカーがポピュラーな種目になっている。また、あまりポピュラーではないが、ラクロスに良く似た「ソフィロス」というスポーツが存在している。他にもフィギュアスケートやバスケットボールに関する言及がある。

ソフィロス
ソフィロスとは、中空に浮かんだ「魔法球」を「魔法の杖」で打ち合い、相手のゴールに打ち込む事を競い合うスポーツであるが、さほどメジャーでもないらしく競技人口のほとんどが女子である。

1チームの出場人数は5人で、ラクロスと同様に「クレードル」と呼ばれるテクニックが存在する。

シュートを決めた時に、フィギュアスケートの様にして技術や美しさが採点される事で、1点以上の点数が入る事がある。

「魔法球」は、魔法で生成された特殊なボールであり、競技フィールドの外に出ると消滅する。「魔法の杖」は、元々は普通の木の棒であったが、競技化されるにつれて、球を保持する為のポケットが付いた専用の杖が使われる様になった。この為、杖自体は魔法の産物というわけではない。

将星学園のソフィロス部のユニフォームは、魔法使いのローブの様なデザインになっている。将星学園では、女子の体育や球技大会でもソフィロスが行われているが、その時は一般的な体操服を着用して行われる。

人種
ごく一般的な人間である「ヒューマン」の他に、水平方向に長い耳を持ち「エルファン」と呼ばれる耳長種族、獣の様な耳と尻尾を持ち「ライカン」と呼ばれる獣耳種族の2種類の亜人種が存在している。少なくともゲームの中の時代では、人種差別は皆無であり、異種族との婚姻も珍しくない。なお、ヒューマンの中にはエルファンやライカンの耳に憧れを抱くものが居る。

エルファン、ライカンという種族名は共に、伝説上の生物であるエルフ、ライカンスロープに由来している。

作中において、一般にエルファンは魔法力に優れ、ライカンは運動能力に優れるとされているが、それは血液型性格分類と同程度の迷信として認識されている。例えば魔力を持たないエルファンも居れば、運動能力の低いライカンも存在し、逆にヒューマンからも、優れた魔法士やスポーツ選手が輩出されている。(この事が、異種族間の混血が進んだ事によるものなのか、元から種族間に才能の差が無かったためなのかについては、語られていない。先祖代々エルファンであり、優れた魔法士を輩出している凛の血族の事例を見る限り、前者だと考える方が妥当なのだろう。)

異種族間の混血児の場合、両親のどちらかの人種的な特徴が現れる。極まれに両親とは異なる種族の特徴が隔世遺伝によって現れる事がある。こうした現象は「先祖返り」もしくは「チェンジリング」(作中では「取り替えっ子」とも)と呼ばれ、卓越した才能を持った人物に多く見られる現象であるが、その一方で気味悪がられており、家庭崩壊の原因にもなってしまう様だ。

なお、現実世界における肌の色の違いとしての人種が存在するかどうかについては語られていない。

言語
登場人物の人名や会話の内容などから、書き言葉や話し言葉が日本語である事は間違いないが、少なくとも将星学園の「魔法史」の授業では、ギリシア文字に似た文字が用いられている。

人名
「巴真紀奈」「巴有希奈」といった日本人名のみならず、「ティータ・F・ブラント」のような欧米系名や「敷島・クルル」「凛・リム=ウェムス」などのような和洋混合型の名のキャラクターも多く登場する事から、現実の日本よりも西洋文化が流入しているとみられる。

支倉 静真(はせくら しずま)(声:-/中村俊洋)
本編の主人公。将星学園普通科の新入生。眼鏡をかけたおとなしい少年で誰にでも優しく接する。成績優秀・品行方正で異性との交際経験はまだない(というか興味がなかった)。外見はヒューマンであるが完全なヒューマンというわけではなく父親はエルファンである。また父親が元魔法士であったこともあり、小さいころに父親に魔法を封印されて本人も知らないが、魔法力も備えている。趣味はアクアリウム(熱帯魚等の飼育・鑑賞)と読書。ファッションとは無縁で最初は髪型も乱れているため地味な印象だが、本来は整った顔立ちをしている。この事は美形が多いとされているエルファンの血を引いている事とも関係があるらしい。プレイヤーキャラクターでありながら、イベント画像では端正な顔立ちがはっきりと描かれている。
巴 真紀奈(ともえ まきな)(声:金田まひる/同左)
ゲーム内で静真が最初に出会うことになるヒューマンの少女で、静真の幼馴染でもある。巴姉妹の妹。12月9日生まれ。魔法は使えない。明るくハキハキとした性格で静真のことは呼び捨てで「静真」と呼ぶ。魔法の球と杖を使ったスポーツ「ソフィロス」の名手で、ジュニア時代に全国大会MVPになった実績が評価されて、将星学園体育科にスポーツ推薦で入学した。こうした事情からソフィロスの関係者の間では有名人であり、試合の度にスポーツ記者から取材を受けている。その一方で、ソフィロス自体がマイナーな事もあって、街中で目立つような事はなく、ナンパをされたり、総合情報誌から取材を受けたりした時も有名選手だとは気づかれない。(彼女は時折、ソフィロスがマイナーな種目に甘んじている事を嘆いている。)ソフィロスのプロ選手である川下直子の大ファンである。運動は得意だが勉強や家事などは大の苦手。朝が弱く、とても寝相が悪い。姉である有希奈とは仲がよく、互いに「ユキ」「マキちゃん」と呼び合っているが、ときには逆らえないこともあり、主従関係がはっきりする場面もいくつかある。幼馴染のティータからは、スポーツのライバルと目されている。
巴 有希奈(ともえ ゆきな) (声:松永雪希/同左)
真紀奈の双子の姉で、もちろんヒューマンであり、静真の幼馴染。12月9日生まれ。魔法は使えない。正統派美少女。真紀奈とは逆におとなしく控えめな性格で静真のことは「静真くん」と呼ぶ。静真と同じく優等生で料理などの家事も得意だが、時折意地悪で計算高い一面をのぞかせることがある。ガーデニングが趣味で学園では静真と同じクラス。部活動には所属していない、いわゆる帰宅部だが時々真紀奈が入っているソフィロス部のマネージャーを務めることもあり、真紀奈は自分専属のマネージャーだと主張している。(マネージャーとしての有希奈が「ソフィロス部には真紀奈がたくさんいる。」と呆れて語っているので、ソフィロス部員にはだらしない女性が多いらしい。)有希奈が「笑顔+怒りマーク」の表情を示した時には、調子に乗っている真紀奈を一言で黙らせてしまう。幼馴染のティータからは、勉学のライバルと目されている。絵によっては真紀奈よりも胸部あたりが大きく描かれていたりもするが、ヒロイン達のスリーサイズが公表されていないので、本当に有希奈のほうが大きいかは不明である。
ティータ・フローレス・ブラント (Tita Flawless Brandt) (声:吉川華生/桜庭わかな)
巴家の隣に住むヒューマンの少女。巴姉妹とは幼馴染であるが、静真とは面識がなかった。魔法は使えない。大財閥「ブラントコーポレーション」の令嬢で、「?ですわ」などお嬢様口調で話す。学生でありながら父親の秘書の様な仕事もこなしており、テレビに出演する事もあるので、結構な有名人である。プライドが高く巴姉妹をライバル視しており、何かにつけて勝負を挑むが、ティータにとっては文武両面での二正面作戦を取ることになるので、いつも惜敗している(客観的には健闘していると言う方が適切ではあるが、ティータ本人は惜敗としている)。巴姉妹は自分たちが手を抜くと彼女を怒らせる事を知っているので、いつも全力で勝負を受けて、彼女を負かしている。勉学のライバルである有希奈との勝負に秀才の静真が加わった事で、静真を意識し始める。巴姉妹には幼馴染としての友情も感じており、時々巴家自慢の露天風呂に入りに来る為、巴家にとっては家族も同然であるが、本人は巴家の人たちに対しても丁寧な言葉遣いをしている。巴姉妹以外の友人の事を名字で呼ぶ為、静真のことも「支倉」と呼んで普段からきつく接しているが、静真に褒められたり優しい言葉をかけられたりすると妙に照れたりする。いわゆるツンデレ系のキャラクターである。また、非常に上品な人物であり、うどんを食す時の所作にもまったく隙がない。学園では静真達のクラスの級長を務める。プライドの高さゆえにクラスでは孤高の存在であるが、級長としての責任感の強さや静真を含む隣人たちへの友情に厚い事も手伝い、物語の後半には素直で親切な人柄が表に出てくる事になる。ティータと静真が恋愛関係にならないシナリオでもその様になるので、製作スタッフたちによると、こうした点で単なるツンデレ系ではなくなったとの事である。
敷島・クルル (Krile Shikishima) (声:西田こむぎ/同左)
犬のような耳と尻尾を持つ「ライカン」と呼ばれる種族の少女。巴家の下宿人の一人。将星学園魔法科2年。「制御リング」の装着を義務付けられる程の強い魔力の持ち主であり、その状態でも魔力で宙に浮かぶ事ができる。また、100点以外を取った事が無い程の天才的な学力を持ち、飛び級もしているため静真達より年下にもかかわらず学年は上である。学生でありながら、既に魔法士として活動する事をある程度は容認されている。魔法科に所属する図書委員として、特別に「あかずの間」と呼ばれる貴重な魔法書を納めた部屋への出入りが許されている。これほどの天才である為、ティータからも次元の違う存在だと目されており、ライバル視はされていない。身長が低い事にコンプレックスを持っており、ライカンであるが運動は苦手。いつも無口・無表情で、必要最低限の言葉を話す為、何を考えているかわからない。読書が好きで、文芸部に所属しており、図書委員も務める。一人称は「ボク」。言葉を話すぬいぐるみ・アズラエル(サブキャラクター参照)とはいつも一緒にいる。静真のことは「シズマ」と呼ぶ。背の高い静真が巴家に住み始めるまでは、空中浮遊能力によって、「巴家の高い所にある物を取る係」を務めていた様である。本作において最も人気のあるキャラクターであり、発売されているキャラクターグッズ類もクルル(またはアズラエル)に関するものがほとんどである。
凛・リム=ウェムス (Rin Lim Venus) (声:松田理沙/同左)
巴家に下宿しているエルファンの女性。太星女子大学で歴史の教職課程を専攻している。メインキャラクターの中では最年長であるがドジでそそっかしく、いつも失敗ばかりしている。礼儀正しく、静真のことは「静真さん」と呼ぶ。ウェムス家は女系の家系であり、女ばかりの家庭で育ったため、静間以外の男性に話しかけられるだけで怯えるかなりの男性恐怖症。ウェムス家は本来高い魔力を持つエルファンの中でも特に優秀な魔法士の家系だが、彼女には魔法の力が全く備わっていない。この事が彼女の「魔法は使えなくても、世の中の役に立つ人になりたい」という強い博愛精神の元になっており、男性恐怖症にも関わらず教師を志す動機にもなった。学費を稼ぐため、喫茶店で日々アルバイトに明け暮れる苦学生だが、ボランティア活動や募金活動にも積極的でその為に大金を使ってしまう事が間々ある。喫茶店の制服がメイド服に酷似しており、その姿のままで出歩いて注目を浴びる事もある。将星学園の卒業生でもあり、教育実習のため学園を再び訪れる。なお、公式サイトでの「キャラクター人気投票」(ネタバレ要素もあるので注意)において、凛は、他のヒロインが全て1500票以上を獲得する中で、僅か187票しかなかった程の不人気ぶりであった。これはサブキャラクターの館川はるなの165票を辛うじて上回った程度である。その為か作品の関連商品の萌木原によるイラストには凛は全く描かれていない。(しかしながら、小説『ナーサリィ☆ライム 1.わたくしのおうじさま』には凛を準主役にした物語がある。)こうした不人気について、作品のスタッフたちは「時代遅れなヒロインだった」と述べている。
ちなみに「衣装人気投票」でも凛の教師服は35票で最下位(9位の体操服とは96票差)
メイド服は193票で8位という結果に終わった。

サブキャラクター
ここでは、物語に関わってくるキャラクターについて述べる。ここに挙げた以外にも、姿が描かれておらず、役名のないキャラクターが多数登場している。

巴 由里亜(ともえ ゆりあ)(声:松永雪希/同左)
真紀奈・有希奈の母親で、巴家の主。ヒューマンである。数年前に、夫に先立たれてしまった。優しく包容力がある女性で巴家の下宿人達や隣家のティータの事を娘二人と同様大切に想っている。クルルからは「ママ」と呼ばれ、実の母の様に慕われている。なお、声の松永雪希が有希奈との二役を演じており、どちらも巴家の家事担当として似通った立場にあるが、しっかりと演じ分けている。
アズラエル (Azrael) (声:水鏡/同左)
クルルがいつも肩に乗せている黒い猫のぬいぐるみ。愛称は「アズ」。ぬいぐるみなので自力では全く動けないが、喋る事ができる。無口なクルルの代弁者のようにおしゃべりなうえ相当な毒舌で、静真のことを「下僕」と呼ぶなどいつも余計なことを口にしてはクルルに袋叩きにされている。クルルはこの事を「折檻」と言っているが、アズはかなり痛がって、しばらくはおとなしくなる。このことから見ても、アズには自我があり、常にクルルの心を代弁しているわけではない。登場人物の中では、クルルと由里亜と静真が触っている時だけ、アズは喋る事ができる。巴家や学園での登場人物たちの会話に重要なアクセントを与えるキャラクターなので、スタッフの萌木原ふみたけによると、アズラエルがこの作品を2割面白くしたとの事である。この事と、クルルの人気によって、アズラエルは、等身大のぬいぐるみとして商品化され、次作である『いつか、届く、あの空に。』にも登場し、Lump of Sugerのマスコットキャラクターとなった。なお、「アズラエル」とはイスラムにおける死を司る天使の名前である。
舘川 はるな(たちかわ-)(声:神村ひな/同左)
将星学園普通科2年のヒューマンの少女。黒ふち眼鏡と艶やかな黒髪が特徴。クルルとは同じ文芸部・図書委員に所属しており親友同士。おとなしい性格で後輩である静真達にも礼儀正しく接する。時々、クルルの部屋に泊まる事がある。
マリー・ケリー (Marie Kelly) (声:西田こむぎ/同左)
将星学園に通うライカンの少女。真紀奈と同じソフィロス部の一員で仲が良い。明朗快活な性格で初対面の相手とも気さくに話す。真紀奈とともに、将来のソフィロス部のツートップになると目されているソフィロスの名手であるが、彼女はスポーツ推薦ではなく、入試で合格して将星学園に入学している為、学力もそこそこ高い。
フィリップ・ミヤガワ (Philippe Miyagawa) (声:石川大介/同左)
静真が将星に入学する以前からの友人だったエルファンの少年。エルファンであるが魔法は使えず、スポーツの才能に恵まれている。ニックネームはフィル。サッカーが得意で真紀奈と同様に体育科に推薦入学した。真紀奈とともに、将来の将星学園を代表するスポーツ選手と目されている。キザで女の子が大好きなプレイボーイだが、ツキには恵まれておらず、何かと不幸な目にあうことが多い。スポーツが苦手だと思い込んでいる静真を積極的にミニサッカーやフットサルに誘っている。静真自身が気が付いていない静真のスポーツの才能に気が付いているので、静真をサッカー部に勧誘したりもした。
東村山 藤吉郎(ひがしむらやま とうきちろう)(声:中村悠一/同左)
静真の同級生。顔立ちは険しく、あごひげも生やしており一見すると静真達と同年代とは思えない。毛深いがライカンではなくヒューマンである。体の大きさに反比例して声は小さく無口。将星に入る前からクラスメートだった有希奈のことが好きらしい。あだ名は「フジ」。また、彼の声を聞き取る事ができるのは、基本的に、有希奈と静真だけである。見かけによらず手先が器用で、部活は手芸部に所属。その腕前は有希奈も一目置いており、彼に教えを乞うこともある。
ラエル・ブラント(声:中村悠一/-)
ティータの兄で、ヒューマンの男性。ブラント財閥の後継者としての未来が約束されていたがその道には進まず、医師になる事を目指した。静真とは性格が良く似ているらしい。ティータはこの様な兄に対して、複雑な感情を抱いている。また、幼馴染の有希奈が密かに好意を抱いている相手でもある。
炭谷 カイト(すみたに-)(声:大久保けんたろう/-)
将星学園の学生で種族はヒューマン。高慢な性格で静真のことを見下し馬鹿にしたような態度をとる。以前に有名人であるティータに交際を申し込んで断られたことから、彼女に色々と嫌がらせをしてくる。
関屋 ケン(せきや-)(声:石川大介/-)
静真のクラスの担任教師。科目は現代国語の担当である。スローテンポで暗くぼそぼそとした声で話し、また典型的な事なかれ主義者で学園内で事件が起こることを嫌う。声のみで姿は登場しないが『アズラエルの夢を見て』および『ビジュアル・ガイドブック』で公開された設定画および用語集での記述によると、ゲーム本編において役名を持っている登場人物の中では唯一の男性のライカンである。(設定画ではスーツ姿だが尻尾は描かれていない。女性のライカンが全てスカートを着用している事と、『ビジュアル・ガイドブック』に記された尻尾についての自己ツッコミ的なコメントから考えると、スタッフは男性のライカンの尻尾が衣服のどこから出ているのかは決めていなかった様である。)
男A&男B
姿のみならず、役名すらないが、物語の各所で登場人物たちに絡んでくる。冒頭では真紀奈をしつこくナンパしていた。設定画やテキストによると、男Aはヒューマンで、女性の好みが広く、男Bはエルファンで、女性の好みは狭い。ナンパ中にも関わらず、女性の好みの事で喧嘩を始めてしまうなど、間抜けなところがある。小説版にもナンパ師として登場した。

エピローグについて
ゲーム前半に5人のヒロインの何らかの攻略条件を満たすと、後半のヒロイン別のシナリオに入るが、そこでのヒロインからの好感度が低くても、ヒロインとは結ばれてハッピーエンド(ゲーム上ではNormal End)になり、スタッフロールを伴ったエンディングを見る事ができる。しかし好感度が高いと、更にゲームが続き、ヒロインと結ばれた後のヒロインとの性生活や、主人公とヒロインとのその後を描いたエピローグを見る事ができる(True End)。これらをエンディングにカウントすると、本作品のエンディング数は、6+5で11通りある事になる。

2009年01月27日

MB.150 (航空機)

MB.150シリーズは、フランスのブロック社によって開発され、第二次世界大戦で使用された戦闘機である。生産型のMB.151、MB.152合わせて600機以上生産され、ドイツの侵攻時に使われたほか、休戦後はヴィシー政府軍でも使用された。フランス降伏前にMB.151が少数機ギリシアに輸出された。

MB.150は、1934年に出されたフランス空軍の新型単座戦闘機開発計画に基づいて開発された。全金属・単葉・引込脚の原型機(MB.150.01)は1936年に完成したが、設計上の欠陥から予定された初飛行時、ついに飛び立つことができなかった。ブロック社では構造の強化などの改良を施し、数ヶ月後にようやく初飛行にこぎ着けたものの、結局この新型戦闘機計画では、MB.150よりも古風な、木金混合の競合機モラン・ソルニエMS.405が採用され、これが若干の改設計を経てMS.406として量産に移された。
ストレッ ハダール ハルジ ハーネス みずあ カトレヤ まぐわ 夏の月 ガイド 紫色カリフ ティング インディオ ショーアップ プルデン ソイビーン ソリスト レール アモチ コピー 繊細 スケジュー ダンボ 手まりか テルル 白いブランコ メデリン スターチス なめねこ ロット ピクノジェ ミラー 幸せの色 オドメー パンパス パイプ 5匹の子 はなびし ムーム レプチン スペンス チャリヤ ウルトラ ライン ハンドボ ツインベッド わにがわ スロット ドルユーザ トリオット チーズ

しかしブロック社では自社資金で開発を続け、主翼を延長しエンジンを出力向上型のノーム・ローン14N11に換装したMB.151を完成させた。

折しもヨーロッパの情勢は日に日に悪化しており、フランス空軍ではMS.406の配備を進める一方で、その後継となるドボワチンD.520も開発が進められていたが、ドイツとの航空戦力の差を埋めるためには、早急に大量の戦闘機を調達する必要があると判断された。フランス空軍は1938年5月に兵力拡張計画「プランV」に着手、アメリカにカーチス・ホークH75を発注する一方で、ブロック社に対してもMB.151の生産契約を行った。MB.151がノーム・ローン空冷エンジンを搭載していたため、ただでさえ遅れがちなイスパノ・スイザ液冷エンジン搭載のMS.406、D520の生産を阻害しないことも採用理由となった。

MB.151は1938年8月に初飛行を行い、直ちに量産が行われたが、エンジンはなお非力なうえに深く絞ったカウリングのために冷却不足で、飛行性能は不良、火力も不十分と、その近代的な外観に反した低性能機であった。ブロック社では改良型として、さらにエンジンを高出力のノーム・ローン14N25に換装し、武装を20mm×2、7.5mm×2に強化したMB.152を完成させた。MB.152は1938年12月に原型機が初飛行、発注分の多くはこちらに振り分けられて、MB.151と並行生産された。しかし、MB.152でもエンジンの冷却不足の問題はつきまとい、生産途中でカウリングの改設計、プロペラの換装など、試行錯誤は絶えなかった。

1939年3月から空軍への引渡しが始まったが、初期の生産型は尾部に構造上の欠陥があり、部隊配備はその改修後となった。生産時の混乱によりプロペラや照準機の装備が不十分なまま納入される機体があるなど、戦力化には程遠い状態が続いた。また部隊配備された機体も、前述のエンジンの冷却不足による出力制限により低速度でしか運用できず、高空での操縦性が悪かったため、乗員の評判はよくなかった。MB.152では20mm機関砲を装備して武装強化したものの、機関砲の故障が多く有効な働きができなかった。

欠点の多い機体ではあったが量産は続き、MB.151、MB.152あわせて650機程が生産された。この内、1940年からのドイツ軍との戦闘で270機が失われた。これは、フランス戦闘機の中で最も大きな損失であった。ただし、ドイツ機の撃墜数も152機(これとは別に約30機の未確認機がある)を数えている。停戦後は、ヴィシー政府において戦闘機として使用された他、ドイツ軍において練習機として用いられた機体もあった。

MB.152の速度性能、航続距離の増加、運動性向上を目指して開発されたのがMB.155で、1939年末に初飛行したが、対ドイツ戦には間に合わず、少数しか生産されなかった。さらにエンジンを1580 馬力のものに換装したのが最終生産型のMB.157で、1942年3月にドイツ軍の命で完成、初飛行を行った。

MB.151c1
全長:9.10 m
全幅:10.54 m
全高:3.95 m
エンジン:ノームローン14N-11空冷星型14気筒 940hp
最大速度:460 km/h
武装
7.5mm機銃×4
乗員:1名

MB.152c1
全長:9.10 m
全幅:10.54 m
全高:3.95 m
全備重量:2,676 kg
エンジン:ノームローン14N-25エンジン 空冷星型14気筒 1,080hp
最大速度:515 km/h
上限高度:10,000 m
航続距離:600 km
武装
7.5mm機銃×2
20mm機関砲×2
乗員:1名

MB.155c1
全長:9.05 m
全幅:10.55 m
全高:3.95 m
全備重量:2,900 kg
エンジン:ノームローン14N-49 空冷星型14気筒 1,100hp
最大速度:520 km/h
上限高度:10,000 m
航続距離:1,050 km
武装
7.5mm機銃×2?6
20mm機関砲×2(装備していない機体もあった)
乗員:1名